第二次世界大戦は連合軍に仕切られ冷戦になった

第二次世界大戦は連合軍に仕切られ冷戦になった




スターリンの野望 より抜粋
https://ironna.jp/article/2418

先の大戦末期の1945(昭和20)年2月4日から11日まで、クリミヤ半島のヤルタで米国大統領のルーズベルト、英国首相のチャーチル、ソ連首相のスターリンによる3カ国首脳会談が開かれた。会談でルーズベルトは、ソ連による千島列島と南樺太の領有を認めることを条件として、スターリンに日ソ中立条約を破棄しての対日参戦を促した。これが「ヤルタ密約」といわれるものだ
 ヤルタ会談の2カ月後、ルーズベルトは急死。副大統領から昇格したトルーマンは終戦工作を進め、日本はソ連参戦と広島、長崎への原爆投下を経てポツダム宣言を受諾する。そのトルーマンは8月15日、スターリンに対し、ソ連が日本軍の降伏を受理する地域を規定した「一般命令第一号」を送付した。そこではソ連軍の占領地域は満州と北緯度以北の朝鮮となっており、ヤルタ密約とは違って千島列島は含まれていなかった。この内容を不満としたスターリンは翌16日、直ちにトルーマンに次のような要求をする。

(1)日本軍がソ連軍に明け渡す区域に千島列島全土を含めること。これはヤルタ会談における3カ国の決定により、ソ連の所有に移管されるべきものである。

 (2)日本軍がソ連軍に明け渡す地域には北海道の北半分を含むこと。北海道の南北を2分する境界線は、東岸の釧路から西岸の留萌までを通る線とする。なおこの両市は北半分に入るものとする。

 あろうことかスターリンは、北方4島を含む千島列島全島の領有を挙げたのみならず、北海道の半分を要求してきたのである。北海道の占領は、日本のシベリア出兵に対する代償であると主張した。

 トルーマンからは北海道北部のソ連占領を認めないという返事が18日には届いたが、スターリンはそれを無視する。ソ連の戦史研究所所長、ボルゴドノフ大将は、スターリンは終戦直前、極東軍最高司令官、ワシレフスキー元帥に「サハリン南部から北海道に3個師団の上陸部隊を出せるように準備指令を出した」と語っている

中国が日本の戦争賠償を放棄した理由「国際事情ゆえに泣く泣く放棄した」より抜粋
https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20180926005/?p=2

中国メディアの快資訊は16日、「戦後中国はなぜ日本からの賠償を放棄してしまったのか」と題する記事を掲載した。記事の中国人筆者は、「賠償金は欲しかったが言えなかった」という見解を紹介している。

 戦後の賠償問題を巡っては、1972年に締結された日中平和友好条約で、中国は国交を回復するにあたり、日本に対する戦争賠償の請求を放棄すると明確に宣言している。ではなぜ中国は日本による賠償を放棄したのだろうか。記事によると、「国際事情ゆえに泣く泣く放棄した」のだという。


日本の戦争賠償と戦後補償
WIKIPEDIAより抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B3%A0%E5%84%9F%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%BE%8C%E8%A3%9C%E5%84%9F
占領した連合国に対する賠償

占領した連合国に対する賠償とは、サンフランシスコ平和条約第14条で定められているところの日本が占領し損害を与えた連合国と二国間協定を結んで行った賠償のことである。一般に狭義の「戦争賠償」は、この二国間協定による賠償が意味されることが多い。この賠償を受ける事ができたのは、以下の2つの条件を満たす国である。

平和条約によって賠償請求権を持つと規定された国
日本軍に占領されて被害を受けた国。

すなわち、この2つの条件に外れる国々は、この狭義の「賠償」権をもたない。

サンフランシスコ平和条約を締約しなかった国、または何らかの事情で締約できなかった国は、外れることになる。朝鮮(大韓民国+朝鮮民主主義人民共和国)に関して、韓国臨時政府は日本と戦争状態になく、連合国宣言にも署名していないとしてサンフランシスコ平和条約の署名国となることを承認されなかったため、この賠償を受ける権利はない。
サンフランシスコ平和条約を締約し且つ何らかの賠償請求権を持っていた連合国であっても、それが「日本に占領されて被った損害」に対する賠償のものでない場合は、外れることになる。これは、同条約第14条b項において、日本に占領されなかった締約連合国は全て「戦争の遂行中に日本国およびその国民がとつた行動から生じた請求権」を放棄したためである。

上記2条件に該当する連合国のうち、フィリピンと南ベトナム共和国は1956年と1959年に賠償を受けた。ビルマ連邦(現ミャンマー)とインドネシアはサンフランシスコ平和条約の締約国ではなかったが、1954年と1958年にそれぞれ別途にサンフランシスコ平和条約に準じる平和条約を結んで賠償を受け取った。二国間協定による賠償を受け取った国々はフィリピン、ベトナム、ビルマ、インドネシアの4カ国。

ロシアは北海道もよこせというかもしれない

開拓使
WIKIPEDIAより抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E6%8B%93%E4%BD%BF
開拓使は翌明治15年(1882年)に廃止され、北海道は札幌県・函館県・根室県に分けられた。


北海道の北半分はアイヌの土地だった

アイヌ
WIKIPEDIAより抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C#%E5%AE%97%E6%95%99
アイヌ(ラテン文字表記: Ainu, ロシア語: Айны)は、北海道を主な居住圏とする先住民であり[2]、少数民族である[3]。独自の文化を有する[4]。かつては北海道のみならず、北は樺太、東は千島列島全域、南は本州北端にまたがる地域に居住していた[5]。19世紀に列強の国々が領土拡張するにあたり、多くの先住民族が編入されたが、19世紀中頃にはアイヌも同様の運命をたどった[6]。現在、日本とロシアに居住し、日本国内では北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。母語はアイヌ語で日本語とは系統が全く異なる。アイヌは縄文人の遺伝子を色濃く受け継ぐ民族とされている。
1878年(明治11年)、
イギリス人旅行家・イザベラ・バードが北海道の日高地方でスケッチしたアイヌ民族の男性。

アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが[注 1]、生業から得られる毛皮や海産物などをもって、アムール川下流域や沿海州、カムチャツカ半島南部の地域と交易を行い、永くオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた[7]。

1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下[8][9]、各々の領土が確定し編入した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。2018年12月、ロシアのプーチン大統領は、クリール諸島(北方領土を含む千島列島)などに住んでいたアイヌ民族をロシアの先住民族に認定する考えを示した[10]。

こんな面白い記事も
https://wiki.chakuriki.net/index.php/%E3%82%82%E3%81%97%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E5%8C%97%E6%9D%B1%E9%83%A8%E3%81%8C%E3%82%BD%E9%80%A3%E3%81%AB%E5%8D%A0%E9%A0%98%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%82%89
もし北海道北東部がソ連に占領されていたら


第二次世界大戦後、ソ連のスターリンは釧路市と留萌市を結ぶ線より北東側の北海道をソ連占領地域とするようGHQに要求したそうです。GHQの反対により実現しませんでしたが、もし実現していたら・・・・。

北方領土は「千島4島および北海道北東部」を指していた。

で、日本は千島4島を含めてロシアに返還を求めている。
他の諸外国もロシアに北海道北東部を日本に返還を求める。
但し北方4島に関してはスルー。

釧路と留萌の間に、国境を示す壁が築かれる。

いわゆる「留釧の壁」と呼ばれる。
るくしの壁?
「るせん」じゃないかな?

北海道の支庁は、石狩、渡島、檜山、後志、胆振、日高、十勝、空知のみ設置となった。

富良野近辺は空知支庁管内。

旭川ラーメンは誕生しなかった。
北東地域の日本人はソ連軍に追い出され日本領内に集中。

結果、ソ連占領地域以外の北海道の人口が本土並みに飛躍する。
札幌の政令指定都市昇格も戦後すぐに。
もちろんソ連占領地域にはソ連本土からロシア系などの住民が移住して来る。

網走刑務所の存在は誰も知らなかった。

むしろ「網走強制収容所」としてさらに恐ろしいものになっていた。

こち亀原作1話の落ちで飛ばされた場所は与那国島になっていた(与那国島派出所)。

「先輩、今日は天気がいいから台湾がよーく見えますよ」by中川
寺井の出身地が根室から函館か室蘭あたりに変わっていた。

北海道の民放はほぼ100%の地域で全局視聴できた。

テレビ北海道さえも、十勝を除く全エリアで放送。
十勝民の要望にこたえてテレビ北海道も全道放送。
「テレビ北海道が北海道の一部地域で見れないなんて醜すぎる」なんて憂鬱も史実以上に起きなかった。
もちろんソ連占領地域ではソ連のTV局のエリア。
どっかの電器メーカーがNTSC(日本規格)・SECAM(ソ連規格)双方受信可能のテレビを作って大もうけ。
ソ連側の意向でR1chに妨害を与える為、アマチュア無線の北海道での50MHz帯運用は禁止される。

知床は世界遺産になっていなかった。

ロシアの世界遺産になっていた。

日本最東端の市は帯広市になっていた。
北海道の国鉄(JR)の赤字路線が史実ほど発生しなかった。

これは、恐らくソ連占領地域の人口密度が現実の北海道北部及び東部より高い為。
もちろん、戦後に建設された路線はソ連が建設。
そして1520ミリ軌間に改軌されていた。
根室本線が「釧路本線」となっている。肝心の釧路はニコシアみたいな状況に。
興浜線が全通し、樺太・大陸から道東方面への輸送ルートとして重責を担う。
石北本線、池北線、宗谷本線などが朝鮮半島の京義線、京元線、東海北部線のような分断路線として注目を集める。
分断線がどこになるか不明だが、現存するJR線の方が廃止になっていた区間もありそう。

ソ連との国交回復時に返還。ただし北方4島は返還されず。
陸上に国境を持つことになり警備が必要になる為、日本国憲法に「戦争放棄」の項目は無い。

最低でも「自衛権」が盛り込まれることになる。
滝川・富良野・陸別・浦幌などが国境の最前線基地になる。
60年代中に憲法改正(主に軍事面で)が実現
或いは法律のみの改正で「敵基地への先制攻撃」についての法案が通っていた

ソ連占領地域では根室・稚内・網走が拠点的な都市になっている。

恐らく根室と稚内が切磋琢磨し合う。

北海道南西部は沖縄同様米国の軍政下にあった可能性も。

その場合、北海道南西部は1972年に日本に返還されて日本領となっている。一方、沖縄は1953年に奄美と共に返還されているか、1968年に小笠原と同時に返還されている。

日本ではJSAは日ソ軍事境界線を指す言葉になっていた

よって韓国で制作された同名の映画作品は別の名前に

このスレのように留萌~釧路線で真っすぐ区切らず、実史の朝鮮半島の軍事境界線にように歪な国境線になった可能性が高い

この場合、旭川市は日本領、北海道中部は大雪山周辺が日ソの国境、釧路市は日ソの激戦地となり板門店のような地域になっていた可能性も
朝の連続テレビ小説の「すずらん」のストーリーが変わっていた。

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